放蕩記

科学ライター荒舩良孝の日記

放蕩記の由来

このブログをはじめて2週間が経った。

最初の記事を公開してから、この記事が14本目。

つまり、この2週間、毎日1本ずつ記事を公開しつづけたことになる。

 

我ながらよく続けたものだ。

と、2週間だけでも続けてきたことを褒めてあげたい気もちだ。

2週間なんて短い期間続けただけでは、何の自慢にならないことは知っているが、「忙しいから」とかいって続かないことがよくあることだ。

このブログは珍しく続いているのだ。

 

この続けられる原動力は、訪れてくれる人がいると感じられるからだ。

 

このブログを読んでくださる皆さん、ありがとうございます。

 

まあ、一個人がやっているブログなので、訪れてくださる人たちの数は少なめだが、気ままにやっていこうと思う。

 

私がブログをやろうと思ったきっかけは、4月下旬から5月上旬にかけて、かなり充実していて、おもしろい場所に出かけたり、いろいろな人と出会ったり、思いがけない出来事に出くわしたりしたから、このようなことを書き残したり、伝えたりしていきたいなと考えるようになったからだ。

 

そういうことで立ち上げることにしたのだが、悩んだのがブログのタイトルだ。

「あらふね日記」とかだとありきたりだしな。

などといくつか案を出したものの、あまりしっくりこない。

20分くらい悩んだ末に、私はあることを思いだした。

このブログをはじめる数日前に、自分のFacebookに2つの投稿をしたのだ。

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この2つの投稿は、わりと気に入っていた。

1つ目は聖書に出てくる有名なフレーズである「放蕩息子の帰宅(帰還)」にかけて投稿したもの。

2つ目は、「ほうとう」つながりで、山梨名物のほうとうを食べているところ。

察しのいい方はお気づきかもしれないが、1つ目の投稿は2つ目の 投稿のためのふりだった。

ちょっとくだらない解説をしてしまったが、私はこの投稿にかけて、「放蕩記」にしようと決めたのだ。

 

この名前だと、科学の話題のネタも書くことができる。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

「十月×日 一尺四方の四角な天窓を眺めて、始めて紫色に澄んだ空を見た」

なんていうことも書ける。

ということで、ブログタイトルが決まった。

 

実際、自分自身、あまり実家に帰らないで好きなことをやっている放蕩息子みたいなものだからちょうどいい。

 

ただ、ブログをはじめてから、この名前には1つ問題があることがわかった。

作家の村山由佳さんがまったく同じ名前の小説を書いていたのだ。

ということは、放蕩記でネット 検索しても上位に上がってこないかもしれない。

まあ、そんなことを心配してもしょうがないので、自分は自分でコツコツやっていきたいと思う。

 余裕ができたら、村山由佳さんの小説も読んで、このブログに感想文をあげるということもやってみたいな。

放蕩記 (集英社文庫)

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